焦る気持ちをなんとか必死に抑えようとしてもホームから準急に何度も乗り込む様子が思い出されて時間の経過を飲み込めずにいた。すると自分の目線がいつもの目線と違うことに気づいた。
「あれ?」
「俺,こんなに背高かったっけな?」
普段なら周りよりも少し頭がでるくらいで中には自分よりも背の高い人は普通にいる。芳夫の身長は178cmだ。それが今は周りの乗客たちよりも自分頭ひとつ抜け出していることに気がついた。
「えぇどうしたんだろ」足元へ視線を向けると間近にいる乗客たちが重なってうまく見えない。少し頭を下げて覗き込んで見て芳夫は息を呑んだ。
「足がッ・・・ない」
「えッ体も腕も手もないじゃん」自分の手で体を触ろうとするがその感触がないのだ。意識の中では確かに腕はあってそれを動かそうとする思考は脳から腕に伝達されている感じはある。でも肝心の物理的な腕そのものがないのだ。お腹周りやお尻,太ももを触ろうと両腕を伸ばしてみる。確かに意識の中では両腕を伸ばしてそれぞれの部位を触ろうとすが触った感触が伝わってこないのだ。身体中から血の気が引くのを感じた。それでも芳夫はなんとか冷静に今の状況を受け入れようと必死に考えた。そして今自分が経験している状況を繰り返し繰り返し考えれば考える程、どうしてもたった一つの答えにばかり行き着いていくのだ。信じたくない、受け入れたくない、そう思えば思うほど苦しくなってくる。そして芳夫の口から小さな声が力なく漏れた。
「俺って、死んだの?」
乗車口から人の流れに揉まれて車内に入ってからそう答えを出すまでにどれくらいの時間がかかったのだろう。ほんの数分しか経っていないはずだ。いやそれは一瞬かもしれなかったが動かしようのない答えに押しつぶされそうになりながらも芳夫は必死に昨晩からの自分の行動を思い出そうとした。
「えぇっと待てよ。落ち着け、落ち着こう」
「町田で昭男と飲んで、店を出たのが10時過ぎだったはずだ」
「あいつはラウンジに行って、俺は帰ることにして駅までの道を歩いたよな」
「途中、古い露天みたいな出店でおもちゃのメガネを買ったなぁ確か300円を払ったはずだ」
「それから駅に向かって歩いて普通に家に帰ってきたはずだ」
「帰ってからは・・・シャワーはしていない。歯磨きだけはしたはずだ。覚えてる。間違いない」
「早めに寝ようと思ってベッドに入ったもんな」
「どこで死んだんだ?」死にそうな要素なんかないじゃないか。芳夫は少しづつ落ち着きを取り戻していた。周りの様子も次第に落ち着いて見えるようになってきた。その時だった。「えッ あそこに居るのは俺じゃね?」周りから頭ひとつ分抜け出している芳夫から数メートル先の降車口脇のポールのそばに芳夫が立っているのが見えた。するとポールのそばの芳夫が後ろを振り返って不思議そうな顔をして頭ひとつ出ている芳夫の方を見入っている。そしてしばらくすると正面を向き直した。自分が自分に見られていた。振り向いた芳夫には頭ひとつ出ている芳夫のことは見えてなさそうだった。
次第に間に車内のアナウンスも聞き取れるようになってきた。
「相模大野、相模大野」透き通った車掌の声が車内に流れた。
「この電車は準急新宿行きです。ホーム反対側の4番線に参ります電車は急行の新宿行きです。新宿には急行が先に参ります。お急ぎのお客様は後から参ります急行新宿行きをご利用ください」アナウンスが終わるか終わらないうちに降車側のドアが開いた。と同時に一気に乗客がホーム反対側に向かって溢れ出ていく。その人の波に揉まれながら芳夫も急行に向かって早歩きで進む。頭ひとつ分出ているところから芳夫は芳夫が出ていく様子を見送っている。
「あっ、さっき駅まで前を歩いていた女の人だ。一緒の車両に乗ってたんだ」その女性は芳夫の後を追うようにして急行新宿行きに乗り込んで行った。どうしたらいいんだろう?準急に取り残されたままの芳夫は成す術なく宙に浮いたままだ。そしていつの間にか意識を失ってしまった。