そして母の死
昨年、博田芳夫は母親を病気で亡くしていた。89歳だった。実家の近くで暮らしていた兄から突然メッセージが届いてそれを知った。3つ違いの兄とは反りが合わずもう10年近くまともに会話もしていなかった。ごくたまにメールが来ても芳夫はそのほとんどを読むこともなく破棄しては無視をつらぬいていた。その時のメールも受信したことにはすぐに気づいてはいたがそれを開いて内容を読んだのは受信した翌日だった。いつもなら読まずに捨ててしまうメールをその時ばかりは気になったのか何故読む気になんたのかは今も分からないでいる。メールにはお袋の調子が良くない。早めに一度帰ってこいと短く書かれていた。
博田芳夫は高校を卒業してすぐに受験した全ての大学を落ちると親元を離れてひとり予備校に通うことを決めた。初めて育った家を出て一人暮らしを始めようとする次男坊を親父が運転する車で送り出してくれた。その時はすでに兄は遠くの大学に通っており芳夫が家をでて一人暮らしを始めることは大学受験のためとは言えお袋にとっては相当に寂しいものだったに違いなかった。賄いつきの下宿について家から持ってきた身の回りの荷物を四畳半の狭い部屋に仮置きした。それから改めて3人で家主に挨拶をして親父とお袋は下宿を出た。帰り際に走り出した車の助手席で涙を流して手を振っていたお袋のことを思い出した。芳夫が見た初めてのお袋の涙だったかもしれない。
メールを読んだ翌日、兄から電話があった。スマホのホーム画面に表示された名前を見て芳夫は一瞬、電話を受けることを躊躇した。
「もしもし」
「おぉ久しぶり。元気か?」10年近く聞いていなかった声だった。
「うん、お袋の具合はどう?」みじかく聞いた。
「厳しいって。延命措置をどうするか病院の先生に聞かれたから自然に任せてくださいと言った」
「そうか、わかった」
「帰ってこれそうか?」
「出来るだけ早く帰る。決まったら連絡するよ」
「わかった。連絡してくれ。」そう言うと兄は自分から電話を切った。きっと俺が長く話したくないと思っていることを察したのだろう。
翌日、芳夫は出勤するとすぐに直属長に事情を説明して有給休暇の申請をした。少し長めに休む事で周りの同僚にも迷惑をかけることを思うと申し訳ない気持ちと事情を説明しなければならにことに少し億劫になった。会社組織の中ではどうしてこうも自分の権利であるはずの休暇取得にどうしてこうも気を使わなけれがいけないのかそんな理不尽さに少し嫌気が湧いてきた。芳夫は正式な長期休暇の申請書が受理される前に直属長から口頭で許可をもらうと、担当している顧客に自分が不在になることを連絡し始めた。そして不在になる間の対応を全てアシスタントの渡辺美知子にお願いすることにした。そして翌日の午前中の飛行機で福岡まで移動してそこからはレンタカーで実家の佐世保まで走ることを決めた。芳夫が住んでいる神奈川県大和市の自宅から羽田空港までは電車だと1時間20分以上はかかる。一旦は横浜まで出て京急線か高速バスの選択しかない。車で自走することも選択肢にはあるが実家でのことを想定すると旅程の変更は十分に想定できた。
「やっぱ電車の方が確実だよな」芳夫は以前渋滞にはまってヒヤヒヤした苦い経験があった。迷う事なく電車での移動を決めた。
翌朝、最低限の荷物をリュックにつめて家をでた。駅までの道すがらスーツをきたサラリーマン風の何人かを追い越して急足で追い抜いた。平日の朝、普段着の自分に違和感を感じていた。急足であるく目線の上のほうに雲ひとつない真っ青な空が広がっている。
「お袋、大丈夫かな」心の中でそう呟いてみた。
福岡までの機内ではコンソメスープを飲んで熟睡した。着陸した振動で目が覚めた。実家のある佐世保までは高速を使えば2時間はかからない。途中、芳夫は何度も子供の頃の母親との事を思い返していた。夜、虫歯が痛くなったとき背中に背負ってくれて歯医者まで連れていってくれたこと、少しでも早くデパートに行きたくて母親の化粧する時間が待てずに泣いて化粧の邪魔をしたりしたこと、こんちくしょうって思って頑張りなさいと励ましてくれたこと、たくさんの思い出を振り返りかえっていると自然と涙がこぼれた。
「かぁさん、かぁさん」ハンドルを握りながら何度も何度も小さく声に出してみた。90歳近い、兄との電話の後からその覚悟はできているつもりだった。高校を出てから浪人生活、そして大学、それに社会人になってからもほとんど帰省することもなかった。今年も帰らないよとそっけなく電話で話す程度で、それでもきっと遠くから見守ってくれているはずだった。母親はいつも電話口で笑って「よか、よか」としか言わなかった。芳夫は怒られた記憶がない。そんな母親だった。
佐世保のホテルについた時には3時を過ぎていた。入院している病院に電話すると面会できるという。芳夫は急いでチェックインだけ済ませると車で病院へ向かった。高校生の頃に見て覚えていた感染道路の建物の様子はすっかり変わってしまってはいたが、変わらずに古くなった建物もあって芳夫は懐かしさを感じていた。
病院について受付を済ませてロビーの長椅子で待っていると別の白衣を着た女性がよしおが座っているところまで来てくれて直接、病室がある4階に行くように指示された。「4階で担当の看護婦がお待ちしています」とのことだった。礼を言ってエレベータで4階まで上がっていくとベテランらしい少し年配の看護婦さんが迎えてくれた。
「今、4人部屋に入ってもらってます。どうぞこちらへ」と案内してくれた。看護婦さんの後について部屋に入ると目をつぶって横になっているお袋がいた。
「息子さん、来てくれましたよ」優しく看護婦さんが声をかけるとゆっくりと頭をもたげてこっちを見ると
「あら、来てくれたとね」そう言って少し手を出してきた。芳夫はゆっくりとベッドの側に近づいてお袋が伸ばしたその手をとって
「かあさん、大丈夫ね?」そう声をかけるのが精一杯だった。
「大丈夫さぁ、すぐに治るけん、よかよ」という。そして「はよ、帰れ、はよ、帰れ」と着いたばかりのよしおを追い返そうとする。芳夫はお袋の手を握り返した。頬から静かに涙が溢れた。その後、数分のあいだ都会での生活のこと仕事のことを聞いてきた。
「大丈夫よ」よしおがそう答えると安心したようにまた
「はよ、帰れ」
「すぐに治るけん」を何度も繰り返した。きっと今の自分の姿を見せたくなかったのだろう。
「じゃまた、来るよ」芳夫はそう言って部屋を出た。それから2日後にお袋は旅立ったのだった。